広島市安佐北区口田南に位置する、地域に密着した神社です。
由緒
- 芸藩通志によれば、八幡宮は小田村弘住にあり。
- 当社は往古より北ノ庄小田村、矢口村、古市村、中筋村、東野村の五カ村の民、これを祭るとあり。建立の時期などは哉舊記兵乱の時に紛失し、詳細は不明である。
- 御祭日は往古より八月十四日、十五日(現在は十月第四土曜日、日曜日)神受祭礼を執行なう。御幸の御旅所は矢口村新宮社、現在の新宮神社。慶長四年(一五九九年)而神行していたとあり。
- 勧請の社あれども矢口村の民むかしより、当社を産土神とすれば、勧請の古きことをしることができる。
- 神殿の修復は寛文八年八月(一六六八年)。棟札による幣帛殿の造営は寛政四年八月(一七八七年)※祝詞文による。拝殿は元治元年戊辰(一八六八年)に改築造営され、明治三六年(一九〇三年)に修復。元治元年改築造営された社殿は百二十年余年の風雪に耐え老朽化。折しも都市計画道路敷設により社務所の移築。昭和六十年(一九八五年)の天皇御在位を記念して、本殿、神饌殿、祈祷殿、第二拝殿の改築。更に第一拝殿屋根葺替(ふきかえ)、社務所の改築、境内整備を氏子、崇敬者の浄財にて竣工する。
- なお、古くは小田之庄八幡宮と称したが、後に弘住八幡宮と改め、明治六年(一八七三年)に現在の弘住神社に改称した。氏子関係は現在小田のみとなり、全部分離する。